あの頃の若かった記者たちへ
銀座はマスメディアの街とも呼ばれるくらい、放送局、テレビ局、新聞社などが点在しています。
中でも地方紙の支社は数多く、そこで働く若い記者たちにはひんぱんにいらしていただきました。
それまで知らなかったのですが、彼ら地方紙の記者同士は非常に仲が良く、例えば北海道紙と中部紙が飲んでいるところに四国紙と沖縄紙が交ざるといったような光景はよく見られました。
彼らは最低でも3、4人、多ければ10人単位でやって来るのですが、社用費や交際費が使えないのでいつもピーピーの自腹で飲んでいました。
飲みながら仕事の話になるのはしょっちゅうで、
「俺が書いたから福祉が動いたんだ」
「一石を投じたつもりが非難ざんまいで終わってしまったよ」
「子供の頃から追いかけたやつがオリンピック選手に選ばれたんだ!」
などの話はおかげでいち早く共有させてもらいました。
彼らはまた年々減少する新聞の発行部数や、経営の脆弱化にも危機を強めていました。
実際、廃刊に追い込まれたり、倒産する会社は相次いでいました。
今、テレビでは毎日のように地方知事や自治体が新型コロナウイルスの会見を開いています。
その会場に見知った記者がいないかつい探してしまう自分がいます。
あの頃、何かと言えば、
「先行投資して下さいよ。偉くなったら恩返ししますから」
と値切られました。
当店はcloseしたし、もう彼ら記者たちと顔を合わせることはなさそうです。
こうなったら今出来ることで彼らに恩返しをしてもらいたい。
幸いにも彼ら記者たちはペンという強い武器を持っています。
そのペンで国民に正確なニュースを伝え、希望も伝えて、身動きが出来ないでいる私たちを救ってもらいたい。
お願いしましたよ!