近況
お久しぶりでございます。
1月の後半に、
「ブログの製本に専念したいから」
とブログをお休みして早や二ヶ月半が経ちました。
Mybooks.jpより編集した本はおかげさまで3月の半ばに完成しました。
タイトルは『銀座を去る日』でページ数は134ページです。
母へのプレゼントなので読みやすいようにA4サイズで文字も大きく、カラー仕立ての上製本にしました。
届いたらすぐにも見せて喜んでもらい、本と一緒に記念写真も撮ろうと計画していたのですがまだ出来上がった本を手渡せていません。
本が届いたその日、くやしいことに母親が『舌癌』を宣告されてしまったからです。
本どころではなくなってしまいました。
2月頃、口内炎と思い込んでいた出来物がなかなか治らないので耳鼻科の先生に大学病院を紹介してもらいました。
そこでCT、エコー、MRなどの検査を受け、PET検査の後に、
「初期の舌癌でステージ1です」と告げられました。
診察室を出た後、
「こんな病気になっちゃってごめんね」
と母に泣かれました。
ガンそのものは切除すれば大丈夫と確信していますが、94歳という老齢に胸が押し潰されています。
体力もないのに、何もこの歳になってからでなくても…と誰にともなく恨めしい気持ちでいっぱいです。
「進行性なので急ぎましょう」と早々に段取りを組んでもらえたおかげで、手術は来週の火曜日に決まりました。
10日間の入院ですが、このコロナ禍で面会が許されません。
ともかく母も私も三日後の手術に向けて気丈に明るく過ごしています。
ブログのお休み
一緒に暮らしている94歳の母親の衰えが目立ってきました。
今年に入ってから特にで、記憶障害も出てきました。
今書いているこのブログは二年前の秋に母親のために始めました。
娘の働いている銀座という街を教えたくて、銀座に特化した記事を書いていたのですが、ある程度まとまったら本にしてプレゼントするつもりでした。
ですが半年もたたないうちにコロナの影響で店を畳むことになり、銀座の記事が書けなくなってしまいました。
本にするという計画は宙ぶらりんになり、忘れかけてもいたのですがここに来て完成させたくなりました。
記事が少なくても本にして、母が元気なうちに手渡したい。
はてなブログで製本できることを知りました。
しかしながら製本に不可欠なパソコンがほとんど使えず、これまでもスマホで書いてきたのでまずはパソコンとの格闘から始めなければなりません。
記事のリライトにも時間がかかりそうなので、しばらくの間ブログをお休みさせていただくことにしました。
今は持てる時間の全部を母に使いたい気持ちでおります。
気にかかりながら記事の訪問も無沙汰しております。
気持ちに余裕ができましたらまた拝読させていただきます。
コロナに感染しませんよう、お身体にお気をつけてお過ごしください。
クリスマスイルミネーション
今月の半ば、銀座へ行こうと決めていました。
7丁目の、資生堂本社ビルを彩るクリスマスイルミネーションを見るためです。
大好きなイルミネーションで毎年楽しみにしていたので、ちょっとだけ見てすぐに戻るつもりでした。
ですが東京のコロナ感染者が日に日に増えて、800人を越した時はさすがに怖くなり、行くのを断念しました。
万が一にもウイルスを持ち帰ったら大変なことになります。
コロナ禍で苦戦を強いられている息子にクリスマスプレゼントを送る時、お店で最後のメンバーだった3人の女性にもプレゼントを送りたいと思いました。
品物は、ピエールマルコリーニのチョコレートケーキです。
当店と同じ並びにあったショップのウインドウを、彼女たちがよく覗きこんでいたのを思い出したからです。
ですが、アマゾンに発注する数日前、職を失った女性たちが配信しているユーチューブ動画を見てしまい、気持ちがぐらつきました。
突然解雇された20代の女性が、残高の少ない通帳を公開して、
「来月は家賃が払えない。どうしよう」
と、途方にくれていたり、
会社が倒産した30代の女性が、
「食事は1日一食で、今日はこれだけです」
と、具なしの焼きそばを作って見せていました。
こうした動画を見るまで知らなかったのですが、このコロナ禍での女性の失業数は男性の倍だそうです。
動画を見ていると、クリスマスプレゼントを送ろうと思った3人に重なりました。
彼女たちとは8月以降連絡が途絶えているのでその後の動向はわかりません。
元気で頑張っているものと勝手に決めつけていましたが、もしかしたら動画の女性たちと同様の環境に置かれているかもしれません。
失業しないまでも、出勤日を減らされたり、お給料もまともにもらえていないかもしれません。
そうしたところに届くマルコリーニのチョコレートケーキはどういうものなのでしょう?
気持ちをさかなでするだけではないでしょうか?
深読みと思いつつ、考え込んでしまいました。
あげく、送るのをやめました。
「コロナが収束したら同窓会をしよう」
と約束しているのでその時に渡すことも出来ます。
今年のクリスマスはツリーもイルミネーションも見れないで終わりそうです。
資生堂本社のイルミネーションは今年は従来の赤一色ではなく、医療従事者への感謝と敬意を込めて青を灯すそうです。
来年はあのルビーのようにきらめく深紅のイルミネーションに戻ることを願ってやみません。
3人の女性たちもどうか幸せなクリスマスでありますように。
ありがとう
私の母は『ありがとう』を言わない人です。
昔からで、誰に対してもです。
だから、
「何かしてもらったらありがとうは基本でしょう? お金がかかるわけじゃないんだからちゃんと言いなさいよ!」
性格がきつめの実妹にはことあるごとに怒られていました。
わが息子にも、
「おばあちゃんは将軍様みたいだね」
とからかわれていました。
ただ肩を持つわけではないのですが、ありがとうを言わないからと言って感謝の気持ちがないわけではないのです。
例えば野菜とか魚介を頂戴した時は、
「新鮮ですね」
「おいしくいただきます」
などの、母なりの置き換え言葉で謝意は示します。
私に対しても、
「ごくろうさん」
「お金、使わせたわね」
などのねぎらいの言葉は惜しみません。
それでも普通に『ありがとう』を言って欲しくて母とは随分戦って来ました。
母は、
「慣れてないから今さら簡単に口に出ない」
と顔をしかめ、
「ありがとうを言わなくてもちゃんと生きて来れたんだから!」
最後には開き直りました。
そこまで言われたら娘の私としては口をつぐむしかありません。
もう言わないことに決めてスルーして来ました。
ですが、今の地に移住して、相変わらず『ありがとう』を口にしない母がまた気になり出しました。
耳に入って来ないだけで本当は地元の人たちに、陰であれこれ言われているのではないだろうか?
「礼儀知らずね」
「お高くとまってるわね」
とか何とか。
考えすぎかもしれませんが、やっぱりこのままではダメと思いました。
母も私もこの地ではよそ者です。
『ついのすみか』と決めているのに嫌われたり村八分にでもされたら暮らしていけません。
考えて、勝負に出ました。
並べた朝食の前で母に、
「今日から食べる前にありがとうを言って。言わなきゃ食べさせない」
毅然と言いました。
いきなり切り出された母は、何を言ってるの? といった表情で私を見ましたが、すぐに、あっさりと、
「ありがとう」と言いました。
そして自家栽培のグリーンピースがたっぷり入った好物のスクランブルエッグを食べ始めました。
しばらくは拍子抜けして言葉が出ませんでした。
「じゃあ食べない!」
とふてくされて、席を立つかもしれないと身構えていたからです。
いつぶりに耳にした『ありがとう』なのか久しぶり過ぎて思い出せません。
母も年を取ったんだなと当たり前ですが感慨深い気持ちになりました。
矛盾してるけど、
「ありがとうなんていちいち言わなくたって気持ちが通じてればいいのよ!」
と、いつものようにつっぱねて欲しかった気もします。
湯気の上がった朝食を駆け引きに使ったのはちょっと卑怯だったかも。
ゴメン。
謝ります。
ちょっとヤバイ話
朝散歩を始めました。
海沿いを30分ほど歩くだけですが、何とも気持ちのいいものです。
今朝は朝陽も海風も心地いいので足を延ばしてこの地の警察署まで来ました。
この警察署は浅田次郎さんの名作とされる短編小説にも登場しています。
裏社会に生きる男が主人公の話ですが、浅田次郎さんは作中で、この地にも暴力団が実在したことを明かしています。
借金にしばられた外国人女性が働かされていた売春宿も紹介していて、見に行って来ましたが、描写通りの白い建物が田んぼを背景に確かに立っていました。
風光明媚で、平和そのもののこの町にヤクザがいてしのぎを削っていたことには驚ろかされます。
ヤクザというのはどの地にも巣を張るようで、この4月まで店をやっていた銀座にも組織がありました。
知る人ぞ知る『指定暴力団××会』の本拠地で、当店のはす向かいの所有ビルに事務所を構えていました。
駐禁にもかかわらず、ビルの前にはブラバスだのマイバッハ、ベントレーなどの高級車が日替わりで路駐していました。
ナンバーのついていないフェラーリが止まっていることもあり、
「あれで公道を走れるの?」
謎に思ったものです。
自転車に乗ったパトロールの警官は毎回見て見ぬふりでした。
構成員はうろちょろしていたので珍しくはありませんが、めったに姿を見せないトップの会長がボディーガードに囲まれて表に出て来る時はさすがに辺りがざわつきました。
「あれが七代目か?」
「すごいオーラだな」
「闘犬みたいなつら構えしてるな」
通り合わせた通行人は足を止めて見入っていました。
気づかれないようこっそりと写真を撮る人もいました。
店が近くにあったせいで、公安に協力を頼まれたり、幹部とも顔見知りになって話しかけられたりと、それなりにヤバい思いもありましたがそれはそれで銀座時代の貴重で(?)アウトな一ページです。
いつかそれらもまたなつかしく思い出すかもしれません。
みんなが大変です。
写真は数日前に撮ったわが家の畑です。
雑草が生えているだけのさら地になっています。
9月にさつまいもと里芋をイノシシにやられてから何も植えていないからです。
被害にあった時、近所の農家さんに、
「この畑はもうダメだな。イノシシは、一度来たらまた来るから」
と教えられました。
作物が何もなくても土中のミミズを掘り起こしに来るのだそうです。
電気柵を張り巡らせば大丈夫らしいのですが、周囲を子供たちも散歩のワンちゃんも通るのでそれは出来ません。
どうしたものか悩んでいると今度は、畑の隅っこで死んでいる子供のイノシシを見つけてしまいました。
車に轢かれた後、わが家の畑に逃げ込んで絶えたようです。
農林水産省の職員が引き取りに来てくれたのですが、その時に、
「今回は『豚コレラ』の検査をするので持ち帰りますが、次回からはお宅さんで処分してもらうことになります」
と言い渡されました。
害獣と言えど、敷地内で死なれたら住人が片付けなければならないということです。
畑が生きがいの母に、
「畑はしばらくやめよう」
と言いました。
しぶしぶですが、
「しょうがないね」
と同意してくれました。
当分はプランターに種をまいて、野菜の成長を楽しんでもらうしかありません。
少し前、お店のお客様だったお米やさんの女社長から電話をもらいました。
会社を畳むそうです。
取引先の寿司屋と居酒屋が倒産してあおりを食ったようです。
借金が半端じゃないと笑っていました。
不仲になっていた『ママ友』からも電話がありました。
もう一人のママが脳梗塞で倒れたそうです。
車イスの生活になるかもしれないと心配していました。
女社長もママ友もこれからが大変です。
私の何倍も大変です。
イノシンごときでめげていられなくなりました。
ママ友が会いたがっているそうなので会いに行って来ます。
息子への想い
42歳になる息子がいます。
ひとり息子です。
独身ですが、この先も結婚する気はないそうです。
つきあっている彼女がいますが、この彼女とも結婚しないと言います。
「俺は結婚に向いてないし、彼女をしあわせにする自信もないから」
だそうです。
息子は父親というものを知らずに育ちました。
彼が1才の時に離婚しているからです。
「おとうさんがいなくてごめんね」
息子にはことあるごとに詫びて来ました。
母親の職業を理解出来るようになった頃は、
「おかあさんがホステスでイヤじゃない? いじめられたりしない?」
肩身の狭い思いをしているんじゃないかといつも気がかりでした。
子育てには全力で取り組んだつもりです。
息子は、親の心配をよそにちゃんと育ってくれました。
時々、
息子が結婚しようとしないのは、親である私のせいではないか? と考えることがあります。
父親がいなかったので、
肩車をしてもらったり、キャンプに連れて行ってもらったり、お風呂で背中の流しっこをするなどの経験が息子にはありません。
父親不在が彼に及ぼしたものは大きかった筈だし、そのせいで家庭というものに夢を持てないのかもしれません。
息子とは仲良しですが、結婚に関してだけはあれこれ言えずにいます。
ネガティブですが、息子への負い目のせいです。
本当は孫が欲しくてたまりません。