声帯ポリープ
昔の話ですが、32才の厄年に『声帯ポリープ』の手術をしました。
カラオケの歌い過ぎが原因だったのですが、この時の声帯ポリープのおかげで学ばせてもらったものがありました。
それは、身障者への関心です。
ポリープの手術をした翌日タクシーで帰ったのですが、運転手さんに行き先を書いた紙を無言で渡したところ、口のきけないろうあ者と勘違いされたようで、
「ちゃんと連れてってあげるから安心して乗ってな」
こわもての顔に反して優しく言ってもらいました。
退院時に、
「3日間は誰とも話さないように。声帯に負担がかかりますから」
と、医師に言われたから声を出さなかったのですが、タクシーを降りた後に寄った銀行でもスーパーでも同じように親切にしてもらいました。
あの頃の私は、
視覚障害者用の黄色いタイルをその意味も知らずに平気で踏みつけていましたし、
住居のエレベーター奥に貼られた大きな鏡が、車椅子の人が降りる時に後ろを確認するためのものとも知らずに管理人さんに、
「鏡があると夜中怖いんですよ。外してもらえないですか?」
文句を言いに行く始末でした。
バスに乗っている時も、車椅子の身障者を乗せるために運転手さんが車体横からスロープ台を取り出すその時間に、
「急いでいるのに…」
いらだっていました。
何と愚かだったことでしょう。
声帯ポリープの手術前、
「採取して組織を調べてみないと悪性かどうかわかりません」
医師の言葉に怖い思いもしましたが、あの時に声帯ポリープを発症して良かったと今は思っています。
あの時の体験がなかったら今でも私は身障者に無関心なままだった筈です。
長く生きて来て思うのですが、神様は必要な時期に必要な試練を必要な者に授けて下さっているような気がしてなりません。