苦い悔恨
7丁目の角に白亜のしゃれたビルがあり、そこの一階に高級時計で知られたピアジェのショップがありました。
今は子供服の店に変わりましたが、当時、このピアジェの前をねぐらにしていたホームレスがいました。
小柄で痩せ細り、目だけがギョロリと鋭く、まるで山奥に住む仙人のようでした。
年齢は50才くらいだったでしょうか?
いつも足元に野良猫が絡み付いていたので、私たちは『猫のおじさん』と呼んでいました。
いつからだったのか、何がきっかけだったのかよく覚えていないのですが、ともかくこのおじさんに、期限の切れたウイスキーや頂き物の菓子などを運ぶようになりました。
猫にエサをあげていたので、その足しにと、現金の時もありました。
渡すのは当時のチーフや女性たちで、私は表に出ませんでした。
ですがその内にはバレてしまい、おじさんは私を見ると軽く頭を下げたり、ヒゲだらけの顔をほころばせて謝意を示すようになりました。
ある時、どこぞの店のイベントで路上に飾られたのを抜き取って来たのだと思いますが、顔が隠れるほどの大量の花を抱えておじさんが店に入って来ました。
そしてカウンターに置くなり出て行きました。
驚きましたが、戸口のソファ席に座っていいたお客さんたちもどよめいて、
「何だ、今のは?」
「ホームレスじゃないか?」
しょうがないので、ざっくりと事情を説明しました。
すると、
「いい加減な気持ちで援助してるんだったら今のうちにやめた方がいいぞ。向こうは期待するぞ」
だの、
「最後まで責任取れるのか? その内、つきまとわれるぞ」
だのと、お客様方に真顔で言われて、怖くなってしまいました。
翌日から通勤経路だったピアジェの前を避けて通るようにしました。
図らずもおじさんに出会ってしまった時は視線を逸らしてそそくさと行き過ぎました。
当たり前ですがおじさんは、急に態度を変えた私に戸惑っているようでした。
ですが、その内には私の心の狭さやズルさを見抜いてくれたようで、ニコリともしなくなりました。
それからほどなくして姿を見なくなったので、知り合いのポーターに訊ねたら、
「追い出されたんだよ。あのホームレスのせいで野良猫が増えて町内会が困ってたから」
と教えてくれました。
私の胸に泥水のようなものが残ってしまいました。
勝手に始めて勝手に終わらせたこの中途半端な偽善。
おじさんを傷つけた筈です。
スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんが何かの番組で、ホームレスは霊格の高い人が多いと話されていました。
何を見ていたのか、コンクリートの冷たい地面に座り込んで星もない夜空を見上げていたおじさんが思い出されます。
その姿は今も消えません。