捨てられない着物があります
今日は着物の虫干しをする予定だったのですが、あいにくの雨で出来なくなりました。
店では毎日着物なので枚数もいつの間にか増えて虫干しもひと苦労です。
知り合いのママが店を畳む時に、
「残ったのは着物だけだわ」
と嘆いていたのがうなずけます。
最近は虫干しをする度に、着なくなったものを処分しているのですが、二度と着ないとわかっていても捨てられないでいる着物が一枚だけあります。
見るからに安っぽい花柄の小紋で、袖を通したのは一度だけです。
ホステス時代、初めて勤めたクラブで『和服の日』なるものがあって、着て行かないとその日の報酬がもらえないというので、慌てて上野のアメ横に買いに行きました。
仕立て上がりの中古品で、一万円もしなかったと思います。
美容室で着付けてもらうと高いので、自己流で何とか着て出勤したのですが、客席でオーナーママにケチョンケチョンにやっつけられてしまいました。
「こういう店では小紋はダメなのよ。小紋はどんなにいいものでも普段着扱いの着物だから」
「それに小紋に袋帯は変でしょう? 絞りの帯揚げだってチグハグだし」
お客様が気の毒がって、
「似合ってるんだからいいじゃないか」
助け船を出してくれるも、
「そもそも9月に袷なんて、聞いたことがないわ。ルール違反もいいとこよ」
オーナーママの攻撃は止みませんでした。
更衣室で泣いていると店長が入って来て、
「おまえ、オーナーに嫌われてるんだよ」
と言われました。
それは知っていました。
27才で、生活のためと言い聞かせて足を踏み入れた銀座でしたが、最初からイヤでイヤでたまりませんでした。
売り上げを伸ばすために飲めないウイスキーを飲まされたり、えげつない会話に作り笑顔で乗じたり…。
ひざに手を置かれたり、背中に腕を回された時はぞわっとして身の毛がよだちました。
「OLの半分の時間で、倍以上の給料貰ってんだから少しは我慢しろよ。水商売のいいとこ取りしてんじゃないよ」
店長にはしょっちゅう叱られていました。
そうした私の、水商売に向けた不遜な態度が『女帝』とあがめられていたオーナーママに届かない筈がありません。
あの時私は彼女に仕返しをされたのだと思っています。
確かに傲慢で生意気でした。
よくぞ首にならなかったものです。
苦い思い出が甦るだけの着物ですが、それでも必死に生きていた頃の着物だからでしょうか、捨てられません。