さようなら、私のお店!
久しぶりに銀座に来ました。
管理会社に店の鍵を返すためです。
店は4月3日をもって閉店しましたが、借主名は今月末まで私になっています。
テナント契約の6ヶ月縛りによるものですが、今日鍵を返して全部が終わります。
担当者との待ち合わせ時間より早く来て店内に入りました。
3ヶ月ぶりくらいでしょうか?
室内は空気がよどんでほこりの匂いがしていました。
中はおおかた片付いていますが、このコロナ禍で次の借り手が見つからなかったので、ルール通り現状回復、つまりはスケルトンにして返さねばなりません。
この作業はありがたいことに管理会社が代行してくれることになりました。
かかった費用は預けてある保証金から差し引かれるのですが、自分でやるとなると業者を探して、打ち合わせや立ち会いなどもあるので大変でした。
それにしても店内のこの造作が取り壊されてなくなってしまうのは残念でなりません。
店の真ん中に立って店内のぐるりを見渡しました。
船室をモチーフにした、マホガニー調で統一されている内装です。
居抜き物件でしたが、当時30代の若さだった建築家の隈研吾さんがお客様でいらしていて、
「いい造りだね。落ち着くね」
来店されるたびほめて下さっていました。
管理会社の担当者も、
「こわすにはもったいない造りですね」
と惜しんでくれました。
この店で正確には34年と1ヶ月営業させてもらいました。
思い出がいっぱいです。
暇な時間に座っていた私の定置席を撮りました。
一枚撮ったら、ボトル棚や、更衣室なども撮りたくなってあちこち連写しました。
その後で、
「長い年月ありがとうございました」
見守っていただいた、お店の神様に手を合わせました。
管理会社の担当者が来たので3本の鍵を返却しました。
コロナ禍ということで手短に終了しました。
地下の階段を上って表に出ると、店名の並んだ細長い袖看板を見上げました。
今はまだ名前がありますが、その内には外されてなくなります。
いつかコロナが終息したのち、ここを通りかかったお客様が足を止めて、
「そういえばここに『フレンズ』があったな。まあまあのママがいたな」
とでも思い出してくれたらとても嬉しい。
働いてくれた女性たちも銀座に来た時はなつかしんで欲しい。
そしてコロナが消えたらいつか私もここに来たい。
どんな店に変わったのか、お客様として入ってみたい。
それまでお別れです。
暇な時さぼらせてもらった、真向かいの焼き鳥やさん。
店に飾る花をいつもていねいに選んでくれた、並びの花やさん。
胃薬ばかり買いに来てた、角の薬局やさん。
元気で頑張って下さい。
またいつか会いに来ます。